セックスとは一体なんなのでしょうか。
おおおよそのことみなさん言うこと出来ても、よくよく考えたら、実に難しい問題であったりする訳です。
そして、私達は本当にあるべき姿のセックスの渦中に立っているのでしょうか。
はたまた、人間だからこそ、セックスに対してもおかしな向き合い方をしてしまっているのではないでしょうか。
結局、セックスは快楽なのです。
セックスに対してこの上ない快楽を求めるようになってしまった訳です。
原始の人だって快楽だったかもしれないですよね。
セックスすれば気持ちいいことが判って、日々、気持ちいいからとセックスしていた原始人もいたかもしれないですよね。
そのあたりは本能なのです。
結局、神様は、私達に子孫繁栄のシステムとして人間にとって一番気持ちいい方法でかつ、子孫が繋がる方法を考えてくださったかもしれないですよ。
実際には、セックスの気持ちのいい部分と、出産の痛みと両方抱え持っているのが、子孫繁栄のシステムではありませんか。
そういうこと考えたら、女性って男性とは違った宿命をどうして背負わされることになってしまったのでしょうか。
セックスは人間によって変容してしまったのです。
それは、私達の想像するという能力によって、神様が意図するものと違ったいくらでもバリエーション持ったセックスの快楽に私達は浸ることが出来るようになれたのです。
こんなところまで神様は考えて居なかったでしょうね。
そして現代人の私達は、子孫繁栄を度外視したセックスの快楽のみに耽ったりもするようになってしまった訳です。
現代人の私達は、気持ちのいい満足出来るセックスを求め、気持ちの良くない満足出来ないセックスを許さなくなってしまっているのです。
別に気持ちの良くない満足出来ないセックスだとしても、満足出来る子供は生まれてくるであろうに、そんなことは一切関係なしで、あの映画、「千と千尋の神隠し」に出てくる顔なしのような欲求に溺れてしまっているのです。
でも、溢れかえる想像力とはひょっとしたら独りよがりのものかもしれないですよね。
セックスは相手との相対関係なのです。
ちょっとは想像力に浸るのも控えて、相手のこと考えて、テクニックのことなど考えた方がいいのではないでしょうか。
セフレ男性はサイズを気にするけど、女性はそこまで気にしない
セックスで興奮するということはどういうことなのか今一回しっかりと考えてみましょうよ。
まず、セックスって想像力の問題なのです。
人間のセックスって本能であると思っている人もいるのではないでしょうか。
答えは少し合っていて後は大幅に違っているということです。
セックスの大幅なものは人間が快楽のために作り上げてしまったことなのです。
欲求が更に欲求を生むと言いましょうか、結局人間の性って、あの千と千尋の神隠しの顔なしのような存在になってしまったのです。
私達は性の虚像を、想像の上で作り上げて興奮してしまっているのです。
でも、本能がないというのも正しくはありません。
何処かでは、本能的に子孫を繁栄しなければならないものだとして自発的に女性に向かっていることでしょう。
でもそれは人間にとっては僅かな話しなのです。
性は想像力と、後は肉体的な問題ですよね。
健康的な身体でなければならない訳です。
やっぱり想像して頭の中で性的欲求が膨らんでも、それが機能として反映しなければならないじゃありませんか。
老人になってしまえば、男性などやっぱり機能的には低下してしまうものですよね。
そういう高齢者の人たちだって若い頃の習性もとに、頭の中ではずっと興奮し続けているかもしれないですよね。
肉体的に異常に健康な人たちもいる訳です。
異常にペニスが大きいとかいうのも非常に健康的には見えるのではないでしょうか。
結局、性の形なんて具体的に表すことの出来ないものであって、しいて言えば性の形を明確に示す代用物が、ペニスの大きさということになってしまうのではないでしょうか。
愛の大きさが、男性としての誇りがペニスの大きさとだと勘違いしてしまっている人たちがいる訳です。
女性だってペニス大きいものに憧れ持つかもしれないですよね。
女性だってペニスが大きい方がいいと考えるものでしょう。
しかし、男性が思っているよりもそれは小さいということなのです。
それは、男性が他の男性のあれを見つめて比較するよりも、全然女性が男性のペニスを見る機会が少ないということにも原因しているのではないでしょうか。